25歳〜35歳ぐらいで起こりやすいらしい、ぼんやりとした閉塞感を言語化したい

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こんにちは。ふぁんたです。

 

突然ですが、なんかぼんやりとした不安、閉塞感、何が嫌なのかわからないけどなにかが辛くて、逃れたいんだけど何をしていいかわからなくてそれで時間が過ぎてしまっていってそれがまたさらに辛い、みたいなことありませんか?

 

自分はあります。

 

過去のブログでも徴候が現れているみたいで、例えばやりたいことリスト100の冒頭部分は、「やりたいことが2つしか書き出せなかった」みたいな文言で始まっています。何が自分にとって良いことなのかわからないんですね。

今回は、そういった感情について(少なくとも自分は)こういうことなんじゃないか、ということがある程度わかってきて言語化できてきたので、その共有をして、それから抜け出すためにこういうことをしているよ、ということについて書いていこうと思います。

 

「俺も似たような気持ちだったけど、なんか違ったわ」みたいな人いましたら、ごめん。

 


症状

・今まで楽しく生きてきたはずが、そうでないことが増えた

・不安の原因がわからないが、なんだかふさぎ込みがちになった

・楽しめたはずのことが楽しいと感じにくくなった/楽しいと感じなくなった

・何かをするのにいつもより大きなエネルギーが必要になった気がする

・何をやっても楽しくない

・惰性でなんにもならない暇つぶしに手を出して後悔する

・そんな、何の成長も進歩もないような生活をぼんやりと続けている

・自分のは生活じゃない 生存だ

 

なんかこんな感じです。もっと書けそうな気がするけどどんどん心が沈み込んでいきそうなのでやめました。

 

クオーターライフクライシス、とかいうらしい

調べたらこんな言葉がヒットしました。

100年の1/4ぐらい(クオーター)を過ごした人になんかよく起こりがちな状態で、周りと自分を比べて凹んだり、理想の自分と現実の間のギャップに苦しんだりすることで辛くなって、自分を再構築するフェーズに入ることで起こるようです。

 

…なんかこれとはちょっと違うな?と思っていますが。正直。

周りと自分を比べて凹むなんてことはしていない(自分が良い・優れているという話ではなく、単純に周りに同年代の人がいないだけ)し、これではないんじゃないかなと思いつつも、まあ確かに「人生を楽しんでいる状態が理想で、それと今の自分には大きな隔たりがある」というのは正しそうなので、これの一種なんじゃないかと思って考えることにします。

 

この「自分が毎日を楽しめていないのが理想とのギャップで辛い」をなんとかわかりやすく腑に落ちやすいように言い換えて、自分がどうしていくべきなのかを考えて行きたいと思います。

 

自分はこう言語化した

で、出た結論なのですが、「慣れちゃって刺激がない」のではないかと思います。

 

小学校、中学校、高校大学とステップを進めて、社会人にたどり着きました。

今までの20と数年は、「次のステップがある」生活が当たり前だったわけです。

ところが社会人になると、次の肩書変更は、「定年」になってしまいます。自分の場合転職がありましたが。

6年、3年、3年、4年と来て、大学院に行ったり留年したりしたとしても、社会人としては35年ぐらい同じ段階に居るわけです。そりゃ飽きますよ。

 

で、仕事がうまく行っていたとしてもそうじゃなかったとしても、「そういう日常」になるわけです。

働いて、帰ってきて、いつもどおりのことをして、寝て、起きて、また昨日と似たようなことをして。

たまの土日に外で遊ぶも、それにもまた慣れてきて、「日常の一部」になってしまう。

もちろん平和で良いことなのですが、なんも代わり映えのねえ日常に慣れきってしまう。

 

また、自分の知識にも限界があって、それがこれぐらいの年で限界を迎えるんじゃないかと思います。

「なにか楽しいことをするぞ!」と思うも、その「楽しいこと」が何かがわからないほど、やり尽くしてしまうということです。

仕事をすることで金銭的に余裕ができ、休日等で時間的余裕ができたとしても、自分の辞書の娯楽の欄に載っていることには限界があります。

たとえ存在を知っているものであっても、普段全く考えもしないので、取りうる選択肢の中にないものだっていくらでもあります。

休日だからちょっとシーシャ(水タバコ)を試してみたい、という人の話を聞いて、その選択肢があることにびっくりしたことがあります。どうですか?あなたの辞書にはありました?

 

こんなふうに考えると、「毎日に慣れたので刺激を感じない」という話、割とあるんじゃないかと思います。

 

余談ですが、自分は、「自分の生活を楽しくするようなお金の使い方がかならずあるはずだ」ということを思っていて、それが故になんにも見つからない虚しさを加速させてしまっているのではないかとも思っています。

例えると

せっかくなのでこの状況をゲームに例えてみたいと思います。

普通に生きていくことには慣れたけど、なんかこう、楽しくない、という状況。

 

例えるなら、「城の全部のドアが開かないマリオ64」みたいな。

「街を自由に歩けるけど、本当にそれだけのゲーム」とか

「絶対に出られないスプラトゥーン3のロビー(オフライン)」みたいな。

基本動作の練習はできるけど、それができるようになって、それだけではもう面白いと感じなくなった状態。

なんかそんなかんじなんじゃないかと思います。

 

閉塞感から抜け出すために

新しいことをしましょう

昔、いわゆる「FLASH時代」に、「さかなやつぶし」というコンテンツが有りました。

あんまり有名じゃなかったのですが、今でも調べれば出てくると思います。

そのFLASHでは、今まで誰も言ったことがない言葉を喋ることをさかなやつぶしと呼んでいて、それがなんとなく記憶に残っています。

 

こんなことをやれば良いんじゃないかと思います。

 

まあ、難しいんですけど。自分の辞書にないことを自分で思いつくというのははっきり言って不可能に近いです。

 

普段しないことをしましょう

無意識に、やってないこと、ありませんか?

寄り道とか、衝動買いとか、知らない場所を歩くとか。

普段だったら選ばない道を、自分の選択に気づいたら変えてみましょう。

車を借りてみるとか、ブランコで遊んでみるとか、ホテルに泊まってみるとか。

意識してやるのは難しいんですけど、しようと思った逆のことをしてみるとか、効果があるんじゃないかと思います。

 


結論として、まだ特効薬的なソリューションは見つかっていないので、ゆっくり探しつつ。

少しでも毎日を楽しく生きていければなと思っております。

 

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